すっかり「お騒がせ」キャラが板についた安倍総理のファーストレディ・昭恵夫人が、またしても注目を集めている。今度は、昭恵夫人が大々的に応援していた大麻加工を行う会社の代表が、大麻を所持し、大麻取締法違反の疑いで厚生労働省の麻薬取締部に逮捕されていたのだ。
https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_2630/
https://www.asagei.com/excerpt/95808
「丁寧に説明する」とうそぶき、「森友・加計疑惑」の追及から徹底して逃げ続ける安倍総理。いずれの疑惑にも深く関与する昭恵夫人もまた、表舞台に出ようとせず、ダンマリを決め込んでいる。そしてまた一つ、今度は昭恵夫人が主導する、総理を巡る「違法薬物」使用問題という爆弾が浮上した──。
安倍政権を震撼させた「森友・加計学園疑惑」はウヤムヤのままに越年。衆院総選挙で分裂、惨敗した野党各党は年明けの通常国会での追及に望みをつないでいるが、安倍晋三総理(63)とともに、森友問題のカギを握る昭恵夫人(55)の国会招致すらままならない体たらくぶりである。
ならば──というわけではないが、そんな中、渦中の昭恵夫人に端を発する、誰もが耳を疑う仰天情報をキャッチした。
なんと、難病指定の潰瘍性大腸炎という持病を抱える安倍総理が昭恵夫人に勧められる形で、日本ではご法度の「大麻草」に由来する外国製のサプリメントを使用しているというのだ。しかも、同様の外国製サプリは厚生労働省の「大麻取締法」に抵触する可能性もあるというから、話は穏やかではない。
安倍総理と昭恵夫人の動静に詳しい永田町関係者が、コトの次第を明かす。
「安倍総理が使用しているのは、大麻草に含まれる化学成分(カンナビノイド)のうち、CBD(カンナビジオール)を主成分とするサプリで、もっぱら海外で生産されています。近年、CBDサプリは日本でもヘンプオイルなどと呼ばれて人気を博し、海外メーカーの日本代理店から商品を購入したり、個人輸入したりするケースが増えている。表向きは健康サプリとして販売されていますが、中にはマリファナなどの“代替品”として購入、使用している愛好家も少なくありません」
この関係者によれば、そもそも昭恵夫人が安倍総理のCBDサプリ使用について口を滑らせたのは、16年7月に京都で開かれた第1回世界麻環境フォーラムでのことだったという。この永田町関係者が続ける。
「ファーストレディとして登壇した昭恵夫人は、CBDサプリがてんかんや糖尿病、ガンの痛みなどの治療に有効であることを指摘したうえで、日本における大麻の栽培や大麻の多様な使用を支援していく必要があるとの主張を展開していました。そして、みずからもアメリカに本社を置く大手メーカーからCBDサプリを購入し、潰瘍性大腸炎を患う夫に使用させていることをカミングアウトしたのです」
実は昭恵夫人と大麻には深い因縁がある。事実、「週刊SPA!」15年12月15日号では、鳥取県智頭町にある大麻畑でほほえむ写真とともに、昭恵夫人は「(GHQが大麻を禁止したのは)『日本人の自然や神を敬う精神性を恐れて』と言う人もいます」として、「私自身も大麻栽培の免許を取ろうかと考えたほどです」などと語っているのだ。
同様に「週刊現代」16年11月12日号の小池百合子都知事(65)との対談でも、昭恵夫人は「『日本を取り戻す』ことは『大麻を取り戻すこと』です」などと語っているが、この間には、昭恵夫人と親しい大麻解放運動の知人が大麻取締法違反で逮捕されてもいる。
芸能
2019.05.30 07:00 女性セブン
https://www.news-postseven.com/archives/20190530_1382104.html
安倍昭恵が大宣伝していた「大麻で町おこし」の会社社長が大麻不法所持で逮捕!「家庭内野党」からの撤退に拍車
https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&gdr=1&p=%E5%AE%89%E5%80%8D+%E5%A4%A7%E9%BA%BB
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190605-00000002-yonnana-soci
ナチス・ドイツの独裁者ヒトラーは薬物に依存していた。ビタミン注射に始まり、鎮痛薬や覚醒剤。会議前に1本、気分が優れず1本…。第2次大戦で旧ソ連との戦闘が激しくなると、ほぼ毎日注射した。依存度が高まるにつれ手の震えもみられる。やがて統率力を失い、ナチスは内部崩壊した―。そんなドイツ史の知られざる一面を描いた歴史書が2015年、ドイツで刊行され、話題を呼んだ。30カ国以上に翻訳され、映画化も企画されている。日本では『ヒトラーとドラッグ―第三帝国における薬物依存』(須藤正美訳、白水社)として出版された。著者はベルリン在住の小説家ノーマン・オーラー氏で、薬物を処方したヒトラーの主治医テオドール・モレルのカルテなど史料数千点をドイツや米国の公文書館で調べ、史実を掘り起こした。3月下旬、来日したオーラー氏にナチス・ドイツの薬物依存の実態や著書に込めた思いを聞いた。
(共同通信=外信部・平野雄吾)
―ヒトラーと薬物の関係を調べ始めたきっかけは?
直接のきっかけはディスクジョッキー(DJ)をしている友人の勧めです。彼の友人がベルリンで1940年代に建てられたアパートから覚醒剤の錠剤を偶然見つけたらしく、DJの彼が実際に飲んでみたらとてもハイになったと教えてくれました。この話を聞いて調べたくなりました。友人が飲んだのはペルビチンという商標名の覚醒剤で、1錠に約3ミリグラムのメタンフェタミンが含まれています。1錠飲むとコーヒー100杯分の効果があり、2~3日間眠らなくても問題なく、エネルギーも湧き出て多幸感が得られるとされています。
実は、ドイツは覚醒剤の大量生産を始めた世界で最初の国家です。メタンフェタミンを初めて合成したのは日本の薬学者、長井長義ですが、ドイツ人科学者がペルビチンの生産手法を確立しました。その結果、気分を高揚させるとしてペルビチンは社会に広く出回り、主婦は服用して家をもっときれいにしたし、労働者はさらに働くようになりました。生産性が高まるので、ナチス政権にとっては非常に好都合でした。余談ですが、食欲が減退するのでダイエット効果があるとしてチョコレートにさえメタンフェタミンが混ぜられ、女性たちに飲まれました。友人のDJが飲んだのはこの時代に製造された錠剤です。
―薬物の危険性を誰も指摘しなかったのか。
当時の保健大臣レーオ・コンティは一時のメリットの後に悪影響があり、国民がまひしていくと指摘しています。彼は1939年11月、ペルビチンを購入時に処方箋が必要な薬剤に指定しましたが、実際には多くの薬局で処方箋がなくても購入できました。
疲労と眠気を克服できるペルビチンは当然、ドイツ軍で重宝されました。軍は兵士にペルビチンを服用させ戦闘に向かわせます。特に1940年のフランス侵攻(いわゆる電撃戦)では効果が絶大でした。戦車を運転する兵士は昼夜を問わず進軍できたのです。フランス兵は眠るが、ドイツ兵は眠らない。薬物による戦略的アドバンテージがドイツ軍にはありました。その結果、フランス軍は敗北。フランス人はドイツ人を超人だと思ったようですが、単なる薬物効果でした。
―調査の経緯は?
テオドール・モレルというヒトラーの主治医の名前は多くのドイツ人に知られています。ただ『変わり者の医者』として扱われ、何をしたのかについてはほとんど分かっていませんでした。ドイツ連邦公文書館のサイトでモレルに関する史料が西部コブレンツの公文書館にあると分かり、訪ねてみるとモレル手書きのカルテなどが大量にありました。これらを見つけられたのは大変幸運でした。史料の閲覧記録を見ると、私の前は約20年前に1人見ただけで、この50年間にも2~3人しかいません。主治医というヒトラーをよく知る立場だったにもかかわらずモレルの記録が軽視されていた証しで、歴史家たちの怠慢だと思っています。
モレルはベルリンの開業医でしたが、ビタミン剤を患者に注射する診療所として人気でした。ヒトラーの友人で写真家のハインリヒ・ホフマンがここの患者だった関係でモレルはヒトラーに出会い、1936年以降、主治医になります。ほぼ連日のようにヒトラーの診療に当たり、「患者A」という名前の記録を付け続けました。注射した薬物の名前やヒトラーの容態などを書いています。なぜなら、ヒトラーに何かあった場合にゲシュタポ(秘密国家警察)から追及されるのを恐れ、証拠を残しておく必要があったのです。
連合国軍のドイツへの空爆が激しくなると、生産工場が破壊され薬物が入手できなくなります。注射を打てなくなったモレルは1945年4月に解雇され、ドイツ南部バイエルン州の小さな村に疎開しますが、書き続けた記録は常に持っていたのです。ドイツ降伏後、米軍に発見され2年間にわたり尋問を受けました。記録は米軍が押収、その後、一部がドイツ政府に引き渡され、最終的に公文書館に移されます。私は米首都ワシントンの公文書館にも行き、合計数千点の史料を渉猟しました。
―ヒトラーの薬物効果は?
ヒトラーは、より健康になるためにビタミン剤を注射するようになりました。ヒトラーは菜食主義者で酒も飲まず、健康のイメージを作り上げていましたが、薬物に依存していきます。独ソ戦が始まっていた1941年8月、重いインフルエンザにかかり戦況会議を欠席しました。ビタミン剤よりも強い薬が必要となり、ホルモン剤や新陳代謝の促進剤、ペルビチン、ついにはオイコダールと呼ばれるアヘン系鎮痛薬を日常的に使用するようになります。1943年7月の独伊首脳会談で、気分が優れなかったヒトラーはオイコダール注射で乗り切ります。イタリアの独裁者ムッソリーニは戦況悪化から同盟関係の見直しを模索していましたが、ヒトラーは薬物効果で多弁になり3時間ぶっ通しで話したのです。ムッソリーニを圧倒し、戦線離脱の話をさせませんでした。言わばドーピングのヒトラーとしらふのムッソリーニです。モレルは「閣下は私に、今日の成功は君のおかげだとおっしゃった」と記録しています。
―この著書で訴えたいことは?
ヒトラーは薬物に依存し、ドイツ軍にもドイツ国民にも薬物がまん延していた。いずれも重要な話です。ナチス・ドイツは薬物で妄想的になり、現実を理解できない非理性的な社会に陥ったと言えます。ナチス・ドイツは人種イデオロギーを掲げましたが、そのイデオロギーを浸透させる手段として薬物も利用したのです。そして自ら内部崩壊しました。
この本の直接の執筆動機は友人らが見つけたペルビチンの話ですが、もともと私はナチス・ドイツについて本を書きたいと思っていました。私が10代だった1980年代、祖父がナチスやヒトラーを賛美していました。「ナチス時代は社会に秩序や規律があった」と言うのです。戦争中、鉄道技師だったという祖父はドイツ東部出身で、ソ連軍の侵攻からドイツ西部へ逃げた経験もあって、反共主義者だったのですが、戦後40年以上たってもヒトラーを支持していました。私は祖父の姿勢に疑問を持ち、ナチス・ドイツにはずっと関心を抱いていました。
ヒトラーは酒を飲まず菜食主義者の健康的なイメージを作り上げる一方で、薬物に依存。社会には秩序や規律があるように思い込ませる一方で、覚醒剤がまん延する。ナチス・ドイツはうそで塗り固められていたのです。こうしたナチス神話のようなものを脱構築するというのが今回の私の挑戦でした。多くの歴史家は薬物については詳しくなく、これまで調べなかったのでしょう。もしナチス時代に薬物がなかったら?そうしたら1940年の段階でドイツ軍は英仏軍との戦いに負けていたでしょう。これはあくまで推測に過ぎませんが、そういう小説を書くのも面白いかもしれません。
○ノーマン・オーラー氏 1970年2月4日、ドイツ西部ツバイブリュッケン生まれ。北部ハンブルクのジャーナリズム学校やベルリン大で学ぶ。米ニューヨークなどでジャーナリストとして活動した後、ミステリー小説「クォータマシーン」(未邦訳)で1995年、小説家としてデビューした。