安倍首相、緊急事態会見での「場違いな笑顔」に見える想像力の欠如  

緊急事態宣言発令を受けて実施された首相官邸での記者会見。安倍首相は時折、緊張感あふれるシーンに似つかわしくない笑みを一瞬浮かべた。時間にしてほんの数秒。しかし、この「不自然な笑い」の背景を考えていくと、安倍政権の「危機対応能力」の欠如が透けて見える。(ノンフィクションライター 窪田順生)

● 記者会見で安倍首相が 一瞬見せた不思議な笑顔

 4月7日、首相官邸で開催された会見は、これまでにない重苦しい空気に包まれていた。日本で初めてとなる「緊急事態宣言」が発令され、内閣総理大臣が国民に対して「戦後最大の危機」を呼びかけるという会見なので、それも当たり前である。

 感染しないように間隔を空けて椅子が並べられた記者席からは、さまざまな質問が飛ぶ。いつ解除されるのか。もっと早くに決断すべきだったのではないか。休業を要請する業種の人たちの補償はどうするのか――。

 そんなシビアなやりとりが続く中で、安倍首相が場違いのような笑顔を見せるシーンがあった。といっても、時間にして2~3秒のことで、すぐ神妙な顔つきに戻ったので「思わず笑ってしまった」という方が正確かもしれない。

 国民にもっと緊張感を持ってほしいと訴えなくてはいけない立場であり、日本中の人々が注目をしているこのタイミングであるにもかかわらず、なぜ安倍首相の緊張の糸はプツンと切れてしまったのか。

 その答えは、笑った直前に投げかけられた質問にある。

 オウム真理教の報道でも知られる著名なジャーナリスト、江川紹子さんが、外出自粛要請といっても結局、強制ではないので1週間くらいしたら、だれてくるのではないかという懸念を口にして、続く形でこんな質問を投げかけていた。

 「そうなった時に引き締めのため、警察に要請して、例えば、職務質問などを活発化させるということはあり得るのか、あり得ないのか」

 神妙な顔で聞いていた首相の表情が緩んだのは、ちょうど江川さんの口から「職務質問」というワードが飛び出した時である。では、なぜ首相はこの「職務質問」という響きに思わず笑みをこぼしてしまったのか。

 一般庶民の目線からすれば、史上初の緊急事態宣言が出され、お上から極力外出をするなというおふれがでているのだから、もしそれに従わない者はどんな目に遭うのかというのは当然知りたいところだ。

 よその国のように、警察がパトロールで取り締まって、違反者に罰金を課すなどということは、日本では法律的に不可能だということは我々も何となくわかっている。しかし、「お願い」だけでは不要不急の外出をする人たちを抑えることも難しい。

 ならば、現行の「職務質問」などを拡大させて、繁華街に出歩いている人間を「不審人物」扱いするなどの一種の嫌がらせを強化して、外出の自粛を促していくのではないかというのは、“権力の監視”をするジャーナリストならば当然行き着く。そのような意味では、江川さんが投げかけた「職務質問」という質問は真っ当なものなのだ。

● 江川さんの質問への 笑いは「呆れ笑い」ではないか

 しかし、首相は笑ってしまった。なぜなのかというのは、ご本人にしかわからないことなので、ここからはあくまで筆者の勝手な想像でしかないが、おそらく「この大変な時にピントのズレた質問しないでくれよ」という感じの“呆れ笑い”だったのではないか。

 なぜそう思うのかというと、謝罪会見など社会の厳しい目にさらされる“絶対に笑ってはいけない会見”で、思わず笑みがこぼれてしまうスポークスパーソンというのは、往々にしてそのようなパターンが多いからだ。

 筆者は報道対策アドバイザーとしてこれまで、企業の経営者や官僚、さらには政治家まで、さまざまな方たちの記者会見を裏方としてサポートをしてきた。そこで気づいたのは、世間の常識とかけ離れた暴言や失言をしてしまう人たちと同じくらい、会見中にヘラヘラしてしまう人が多いということだ。

 例えば、社会から大ヒンシュクを買っている不正が発覚して、その背景を説明するために会見を開催した。責任者として真摯にお詫びを伝えなくてはいけないのに、記者の質問を受けている最中に、半笑いで答えてしまい、「反省しているとは思えない」などと叩かれてしまうのだ。

 では、この原因は何か。実際に笑ってしまった人に理由を聞いたり、そのような会見を分析してみたところ、大きく分けると以下の3つのパータンに分類される。

 (1)信頼関係ができている記者からの質問で、ついいつものノリで笑う「親しみ笑い」
(2)触れてほしくない都合の悪い話題に斬り込まれたので、動揺を隠すために笑う「愛想笑い」
(3)こちらが想定していた方向とあまりにズレた質問に拍子抜けして笑う「小馬鹿にした笑い」

 その中でもダントツに多いのが(3)の「小馬鹿にした笑い」だ。これは特に不祥事企業の会見などで多い。こういう問題が起きた企業の会見には、その企業を担当する記者や、業界紙の記者以外にも社会部の記者や、フリーランスのジャーナリスト、ワイドショーなどのレポーターなどが押しかける。

 彼らは、それまでこの企業や、この業界の取材をしたことがないような「一見さん」なので、その会社の基本的なビジネスモデルや、その業界の常識を知らない。つまり、日々取材をしている経済部の記者や業界紙記者が絶対にしないような、ピントのズレた質問が飛んでくるのだ。

 もちろん、会見を開催してメディアを集めているのは企業側なので、どんな質問にも真摯な姿勢で丁寧に答えてなくてはいけない。が、中にはそこで呆れて笑ってしまう経営者なども多いのだ。

● 江川さんの質問を 「揚げ足取り」としか思えないのか

 実際、筆者もこれまで、この手の質問を受けた経営者などから「なんでマスコミの質問ってあんな低レベルなんですか?」とか「会見来る前にせめてもうちょっと、こっちのことを勉強してほしいですよ」なんて愚痴を聞かされたのは、1度や2度ではない。

 今回、首相のあの笑いに関しては、(1)の「親しみ笑い」の可能性はかなり低い。江川さんは政権に厳しいスタンスで知られており、どこかのマスコミ幹部のように、ちょいちょい一緒に首相とメシを食うとか、そういう話は聞いたことがないからだ。

 (2)の「愛想笑い」もややビミョーで、「外出自粛に強制力がない」ということは首相も再三繰り返しているので、いきなり夜警国家のようになるとは考えにくい。職質頻度が高まるにしても、ハロウィンやサッカーW杯のバカ騒ぎで出動したDJポリスのような「お願いベース」を経てなお、厳しいという状況になってから後の話なので、この時点で首相がそこまでアワワと取り乱すとは考えづらいのだ。

 そうなると、やはり(3)の「小馬鹿にした笑い」である可能性が高い。そして、筆者がそう考えるもうひとつの理由は、最近の安倍首相には、自分を批判する相手に対して「小馬鹿にした笑い」をするようなクセが強いからだ。

 わかりやすいのが今年2月、辻元清美議員が定番のモリカケ桜を見る会などを引き合いに首相に退陣を求めるような質問をしたことを受けて、安倍首相が「意味のない質問だよ」とヤジった時だ。この時の映像を見ると、安倍首相の顔は怒りで歪んでいるという感じではなく半笑い。要するに、小馬鹿にしているのだ。

 こういう首相の強めのクセを見る限り、江川さんの「職務質問」という言葉に対して笑ってしまったのは、辻本議員の時と同様に「意味のない質問だよ」と思ったからなのではないか。

 実際、首相がそのように受け取っていたのではないかと思われるようなシーンがあった。江川さんは会見で2つの質問をした。「職務質問」について聞いたのは2番目の質問だったのだが、安倍首相は最初の質問に回答をして、この2番目の質問をころっと忘れていた。周囲に促されて「あっ、警察ですね」と慌てて回答をした。要するに、「職務質問」というのは首相にとって、うっかりスルーしてしまうほど、取るに足らぬ「些細な問題」だったのだ。

 と言うと、「それのどこが悪い!日本人が一丸とならなきゃいけない時に、警察がどうしたとか揚げ足取りのような批判はなんの意味もない。首相が呆れるのは当然だ!」という愛国心あふれる方たちも多いと思うが、もし本当に首相がこういうスタンスで「職務質問」を考えているのだとしたらかなりマズい。

 先ほども申し上げたように、国民にとっては「外出自粛に従わなかったらどうなるんだろう」というのは、ごく自然な疑問だ。こういうことをまさか聞いてくるとは思わなかった、揚げ足取りのような質問だ、と首相をはじめ政府の人間が考えているとしたら、それは彼らが国民の不安をそれほどイメージできていないということである。

 要するに、「想像力」が欠如しているのだ。

● 想像力が欠けたトップは 危機対応で失敗をする

 緊急事態下で「想像力の欠如」が恐ろしい事態を招くというのは、1万人を越す死者が出ているアメリカを見ればよくわかる。ご存じのようにトランプ大統領は当初、新型コロナを「風邪のようなもの」として、このような事態になることを全く想像していなかったのだ。

 希望的観測に引きずられることなく、最悪の事態をイメージして迅速に決断・行動をする。つまり、危機管理とは「想像力」の勝負でもあるのだ。

 では、どうすれば安倍首相、そして政府に「想像力」を持ってもらえるのか。いろいろなご意見はあるだろうか、筆者は江川さんのようなフリーランスの記者をもっとたくさん会見場に入れて、今回のように首相を呆れ笑いさせるような質問をどしどししてもらうべきだと思う。それによって、「世の中にはこういう考え方をする人たちもいるんだな」と気づいていただくのだ。

 先ほど、不祥事企業の会見で、社会部記者やフリーランスが、その会社や業界の常識とかけ離れたレベルの低い質問をすると述べた。が、その一方で、そのような常識を知らぬがゆえ、問題の本質をついたような質問をすることも少なからずある。

 なぜかというと、経済部の担当記者や業界紙の記者というのは、その会社との距離があまりに近かったり、その世界の常識をよく知っているだけに、どこか「仲間」のようになってしまう。要するに、「ムラ社会」の一員になるので、プロレスラーがロープに投げられたら、戻って相手の技を受けなくてはいけないように、相手がスラスラと答えられる予定調和的な追及しかできなくなってしまうのだ。

 このあたりの構造的欠陥が特に顕著なのが、政治取材だ。テレビでやたらと政権擁護をする政界取材歴ウン十年みたいなジャーナリストがいらっしゃるように、政治取材の極意とは、権力者といかにズブ…ではなく「親密」になるかという勝負である。

 親しくなれば政権中枢の情報がもらえて、特ダネが書ける。しかし、その反面で情報をもらうためには、あまり辛辣な批判はできなくなる。そのような「依存」が強くなっていくと、いつの間にやら「仲間」になる。政治ジャーナリストが、ある日突然、“政治プレイヤー”になって選挙に出馬したりするのはそのためだ。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200409-00234056-diamond-soci