37億円超が自民党本部から二階幹事長へ 「適正に処理」? 使途は公表されず【政治資金の闇①】(立岩陽一郎)
37億円超が自民党本部から二階幹事長へ 「適正に処理」? 使途は公表されず【政治資金の闇①】(立岩陽一郎)
2019年、二階幹事長へ10億円超の「政策活動費」
「50000000 二階俊博」、「300000000 二階俊博」、「50000000 二階俊博」、「380000000 二階俊博」・・・。
2019年の自民党本部の政治資金収支報告書(以下、収支報告書)。2020年11月に公開された最も新しい記録だ。その1299ページにのぼる文書の431ページに並ぶのは、巨額な資金が二階幹事長に支払われたことを示す記載だ。
多い時で5000万円。少ない時で300万円。その年の7月には1日に5000万円、9日に3500万円、11日に3000万円が振り込まれている。一か月で1億円以上の資金が二階幹事長に流れたということだ。この時期は重要な政治日程と重なる。安倍政権の下、参院選が7月4日に公示され、激しい選挙戦が各地で繰り広げられた。21日に投開票を迎え、自民党は前回より9議席伸ばし57議席を獲得した。広島選挙区で自民党が擁立して当選した河井杏里元議員をめぐる買収事件が明らかになっている。
この年に二階幹事長に支払われた回数は全部で30回。金額は総額で10億3710万円にのぼる。支出先が二階幹事長個人であることは、その支出を受けた者の住所と総務省に提出された領収書からわかる。総務省には二階幹事長本人が受け取ったことを示す領収書のコピーが提出されている。つまり、これは二階幹事長個人が受け取ったということだ。
これはどういう名目の支出なのか?そこには、「政策活動費」と書かれている。政策活動費とは何か?総務省選挙部政治資金課は、「特段の規定は設けられていない。政治団体として支出しているということであれば、収支報告書で記載していただく収支ということで、それをどのような分類するかは各団体の判断」と説明した。つまり自民党本部が「政策活動費」としているものが「政策活動費」という、なんとも意味不明な説明だ。
では、具体的に見よう。二階幹事長に渡ったこの10億3000万円超はどのように使われているのか?
二階幹事長は自民党和歌山県第三選挙区支部の支部長を務めている。また、「新政経研究会」などの政治団体を持っている。しかし、支部の収支報告書にも、「新政治研究会」の収支報告書にも、二階幹事長からの資金の入金は記載されていない。このため、この10億円を超える資金がどう使われたのかを私たちは確認できない。
では選挙に使われたのか?それであれば、選挙運動費用収支報告書に記載する必要があるが、19年には参院選はあったが、衆議院議員である二階幹事長本人の選挙はない。
そもそも、選挙資金の上限は「1950万円+有権者数×15円」として算出される。二階幹事長の地元である和歌山3区の有権者数は約25万人なので、選挙資金の上限は2300万円余だ。どれだけ資金力が有ろうが、億単位の規模の資金を使うことはできない。
二階幹事長へ流れたのは4年間で37億円超
実はこうした支出は2019年だけにとどまらない。二階議員が幹事長に就任したのは2016年8月3日だ。自転車事故で職務を続けられなくなった谷垣禎一前幹事長の後任だった。
総務省には過去3年分の収支報告書しか残されていないが、公益財団法人政治資金センター(以下、政治資金センター)に残るデータで2016年の自民党本部の収支報告書を見ると、幹事長となった直後からの4か月で23回にわたって4億8750万円が支払われている。その年は幹事長就任前も含めて25回で5億1750万円が支払われている。
その後、2017年に13億3290万円が、2018年に8億3270万円が二階幹事長に支払われている。つまり、二階氏が幹事長に就任して以降、2019年末までに総額で37億520万円もの巨額な資金が流れている。そして、どう使われたのかを確認することはできない。
自民党本部の収入の7割は税金
自民党本部が集めた資金をどう使おうと自民党の勝手ではないか?そう考える人もいるかもしれない。しかし、政治資金はその使途の透明性が求められている。加えて重い事実がある。党本部には私たちの税金が入っている。それが政党交付金だ。
自民党本部の2019年の収入総額は430億円余り。このうち前年からの繰り越し金を差し引いたこの年だけの収入は244億9000万円余だ。実は、このうちの176億円余が政党交付金、つまり税金だ。2019年に得た収入の7割を税金が占めているということだ。
政党交付金の流れを示すとこうなる。
後述するように自民党は政党交付金が二階幹事長に流れたわけではないとしている。それについては異論は有るが、ここでは政党交付金も入った自民党本部から二階幹事長に資金が出たという流れだけ理解して欲しい。何れにしても、私たちには税金が入った自民党本部の支出についてチェックする義務が有る。
「適正に処理しています」と自民党は回答
今回、二階幹事長宛に質問状を送るとともに、和歌山県御坊市にある二階幹事長の事務所を訪れて質問に答えるよう求めた。しかし二階幹事長からは回答は無く、自民党本部の幹事長室から以下の回答を得た。
回答では各議員への回答は自民党本部の幹事長室が行うとして次の様にしている。その全文のコピーを掲載する。
回答したのは自民党の幹事長室だ。「東京新聞特別報道部」宛となっているのは、この情報を私が編集長を務めるInFactから東京新聞に提供した経緯があり、連名で自民党に質問状を送ったためだ。回答の宛名が東京新聞のみとなっている理由は不明だが、InFactにも回答があったものと受け止めている。
なぜ自民党幹事長室からの回答なのかについて一言、触れておかなければならない。この収支報告書の責任者が誰なのか?二階幹事長、その人なのだ。つまり二階幹事長への多額の支出を決める責任者は二階幹事長本人ということになる。勿論、それは回答にある通り、「適正」ということなのかもしれない。
その回答を書き写すと次の様になる。
要約すると次の3点となる。
適正に処理しているのか?
先ず、法律に基づいて適正に処理しているという点について総務省に確認した。
前掲の総務省選挙部政治資金課は「一般論」とした上で、以下の様に説明した。
「政治団体が個人あてに支出した際に、あくまでも支出した団体が記載していて、受け取った個人がそれを公開しないといけないという規定はありません」
そして加えた。
「支出をしていることを形式審査で確認しています。文書上の不備が無いかを確認させて頂いています」
「公開しないといけない規定は無い」・・・つまり「適正に処理されている」という説明だ。では、「形式審査」とは何か?それを問うとこう答えた。
「受け取った政治家の方からの領収書を確認しています」
二階幹事長が出した領収書を確認したので「適正に処理されている」と理解したという。
では、二階幹事長がどう使ったのかは確認しているのかと問うてみた。
「確認していません」
「つまり、受け取った議員がどう使ったかは確認していないのか?」と問うと、「はい」と答えた。
税金は使われていない?
次に、税金、つまり政党交付金からの支出はないという点について見る。
政党交付金の使途については別途、報告書が総務省に提出されており、自民党本部の報告書には「政策活動費」としての支出は記載されていない。しかし、この説明は異論も有る。政治資金の調査を行っている神戸学院大学の上脇博之教授は次のように話す。
「確かに政党交付金の使途には出てきませんが、これは帳簿上の処理の仕方でなんとでもなる話です。つまり、党本部の収入の中の資金に、これはどこから入ったものという色はついているわけではありませんよね」
そして、「仮に政党交付金は別の支出に使っているとの説明を認めたとしても」・・・と続けた。
「政党交付金を他の支出に使っているから残った資金で多額の政策活動費を出せるとも言えます。自民党のこの説明を鵜呑みにすることはできません」
そして、野党も同様な支出を行っているとの指摘。実は、野党の一部でも同じような支出が見られることは事実だ。その規模は数十万円規模が多く二階幹事長に払われた10億円超とは桁が違うが、次回の「政治資金の闇②」で詳しく見る。
国税庁元幹部「実態は把握していない」
通常、こうした資金が個人に渡れば課税の対象となる。しかし国税庁の元幹部は、「国税当局としては実態は把握していない」と明かした。「課税が検討されたことも承知していない」とも話した。
この点については、別の回で詳細を報じたいが、別の国税庁元幹部は「こんな支払いがあったとは知らなかった」と唸って次の様に話した。
「これは普通なら『渡し切り交際費』と言って、交際費として課税する対象だ。一般論で言えば、所得税でも法人税でも基本通達があり、法人から役職員に支払われた報酬は、その使途を明らかにしない限りは受け取った役職員の所得とみなして課税する。政治資金規正法で違法性が無いとしていることもあって国税も黙認しているのだろう」
つまり、特別扱いということだ。
景気回復が見通せず多くの人が苦しんでいるこの厳しい時代に、どう使ったかも確認できないような億単位の資金が存在する・・・果たしてどれだけの人が納得するのだろうか?税金が使われていないとする説明も説得力があるわけではない。法律に違反していないのであれば、それは法律の不備であり、制度の欠陥ではないか?
1円単位で使途を明らかにすべき デジタル化で可能
政治制度に詳しい千葉商科大学の田中信一郎准教授は次の様に話した。
「こうした支出は緊急に必要な政治活動ために機動的に使うという必要から行われてきたものだと思いますが、制度の盲点をついた形となっており、透明性という観点で問題が有ります。今、見直す時期に来ていると思います。政治資金規正法は政治資金の透明性を確保することを目的としており、最終的な支出について1円単位で明らかにすることが本来の趣旨です。それを確実にするための法制度の改正に着手する必要があるでしょう」
田中准教授は「1円単位」について「政府が進めているデジタル化を政治資金の仕組みに導入すれば可能です」と指摘した。この点は別の回で更に踏み込みたい。
次回の「政治資金の闇②」では、野党各党の支出を検証する。
(つづく)
「ついに安倍首相も上回った」菅首相が"戦後で最悪最低の首相"になった根本原因
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文藝春秋に掲載された立花隆の「田中角栄研究 その金脈と人脈」と児玉隆也の『淋しき越山会の女王』で追い詰められて辞任し、その後、ロッキード社から賄賂をもらった受託収賄罪容疑で逮捕・起訴された。 竹下登や小沢一郎などの側近が田中のもとを離れた。脳梗塞で倒れ、失意のうちに亡くなった。 だが巧みな話術と人情味が人を引き寄せ、最近でも「田中角栄ならこの国難をどう乗り切るか」という特集を組む週刊誌がある。 もし田中が今生きていても、彼流の金権政治などできるはずもないが、不思議な魅力を持った首相であったことは間違いない。 戦後のワースト首相のベスト8にも入るが、好きな首相のナンバー1も田中になるかもしれない。 ■総理になっていたら…と思わせる唯一の人物 福田赳夫は首相になるのが遅すぎたのだろう、これといって記憶に残る業績はない。大平正芳が病気のため、首相在職中に亡くなったのは残念だった。 中曽根康弘が首相になった時、「角影内閣」と揶揄(やゆ)された。田中の操り人形という意味だが、若い頃から首相を目指していただけに安定感のある政権運営のように見えた。 堪能な英語を駆使して、レーガン大統領とのロンヤス関係は話題になった。危惧されたのは彼のタカ派的体質だったが、靖国神社に公式参拝したのは最初の年だけで、中国、韓国関係にも配慮する安全運転を心がけた。 中曽根のウルトラタカ派的体質や、後の竹下登内閣で発覚するリクルート事件を水面下で抑え込んでいたといわれるのが後藤田正晴官房長官である。 警察官僚出身だが、野中広務元幹事長と同じように戦争を体験した者として、二度とあのような戦争は起こしてはならないという姿勢を貫いた。 日本国憲法については、「人類が将来向かっていくべき理想を掲げている」とその意義を認めている。また日米安保条約を平和友好条約に変換すべきとの考えも持っていたといわれ、「過去60年間、日本は独立したといいながら、実際は半保護国の状態にあるのではないか」と語ったこともあった。 宮澤喜一首相が辞任した後、次を後藤田にという声が自民党内で高まったが、本人は固辞した。あのとき彼が総理になっていたら、後の日本は変わっていたのではないか。そう思わせる唯一の政治家である。 ■日本の労働運動を解体させた中曽根康弘 中曽根でいえば、国鉄解体・民営化は、日本の労働運動の中で特筆されるべき「大罪」だと考える。 その経緯については牧久の『昭和解体 国鉄分割・民営化30年目の真実』(講談社)に詳しいが、牧はこう書いている。 「百五十年に及ぶ『日本国有鉄道』の解体は、戦後政治の一翼を担った国労(編集部注=国鉄労働組合)、総評(同=日本労働組合総評議会)、社会党の崩壊へとつながり、戦後日本の政治体制であった『五五年体制』そのものが崩れ去ったのである」
もはや春闘という言葉は死語になった。国鉄が深刻な問題を抱えていたのは事実だが、労働者の立場を守る労働運動が弱体化されたことで、今日の非正規社員の激増、深刻な格差社会を招いた罪は重いというべきである。 辞職後、彼の「世界平和研究所」に財界から多額の資金が集まったのもむべなるかなである。 あまり記憶に残らないが、「言葉明瞭、意味不明瞭」を自らのキャッチフレーズにした竹下首相も、相当のワルであった。 『新版日本をダメにした九人の政治家』(講談社)を書いた“政界の暴れん坊”浜田幸一は、竹下の権勢欲は並外れていて、辞任後も、宇野宗佑、海部俊樹、宮澤喜一を据えて院政を敷いたと書いている。 皇民党事件というほめ殺し騒動もあり、見た目に軽い割には、秘書の突然の自殺など暗い影の部分が目につく首相であった。 悪名高い消費税を最初に導入したのも竹下である。 だが、21世紀を迎えると、彼らを凌駕する悪辣な首相が次々に誕生してきた。 ■小渕、森と続き小泉純一郎が登場 “冷めたピザ”と自称し、自ら電話をかけるブッチフォンで人気のあった小渕恵三首相が突然亡くなり、「ノミの心臓、サメの脳みそ」といわれた森喜朗が首相に就任したのが2000年4月である。案の定、見るべき成果もなく退陣した。 その後、東京五輪大会組織委員会会長になり、数々の差別発言や問題発言を繰り返していたのを見ると、この人間の存在そのものが害悪だと思わざるを得ない。 小泉純一郎首相は不人気の森喜朗の後だけに期待を持って迎えられた。「自民党をぶっ壊す」というキャッチフレーズも大衆人気に拍車をかけた。 だが、小泉がやったのは、竹中平蔵を重用して無批判に新自由主義を取り入れ、規制緩和といいながら大量に非正規社員を増やし、今日の深刻な格差社会の基盤を作り上げたことであった。 国会答弁でも、「公約なんか破ってもたいしたことはない」など数々の暴言を吐き、顰蹙(ひんしゅく)を買った。 ブッシュ米大統領(当時)の「イラクに大量破壊兵器がある」という発言を何の検証もせずにいち早く支持を表明した。後にブッシュは、開戦の根拠となった大量破壊兵器(WMD)がイラクに存在しなかったことを知って気分が悪くなったと、米NBCテレビのインタビューで打ち明けた。だが、いまだに小泉は黙したままである。 政界を引退して東日本大震災の後から、突然「原発ゼロ」をいい出したが、首相時代の原発政策の過ちについては、「官僚に聞かされなかった」と逃げるだけである。■"国民に政治を諦めさせた"安倍政権 約束を守らない、ウソと分かっても謝らない、仮想敵を作り出して二者択一を迫るなど、小泉的政治手法を受け継いだのが安倍晋三首相であった。 第2次政権からは国会軽視どころか、自らが招いた数々の疑惑を追及されると、論点をそらして答えないだけではなく、平気で嘘をつく、証拠を改竄させることまでやるようになった。 日本を戦争ができる国へと変容させ、アベノミクスの化けの皮が剥がれそうになると、株価を支えるために国民が払っている年金積立金まで投入した。 官邸が官僚の人事権を掌握するなどの「私物化政権」を8年近くの長きにわたって続けたことは、これから100年後も燦然と輝く悪の金字塔といってもいいのではないか。 "国民に政治を諦めさせた"安倍政権も昨年9月、自らの病の悪化で突然終止符が打たれた。 “悪夢”とも思える安倍政権を官房長官として支え、一心同体で都合の悪いことを隠蔽してきた菅義偉に、期待できるものは何もなかったはずだった。 だが、安倍政治に倦(う)んでいた国民は、少なくとも安倍よりはいいのではないかという“幻想”を抱いてしまった。 それが裏切られるのに時間はかからなかった。 ■長男の接待スキャンダルにコロナ対策の不手際… 自分の長男のスキャンダルや菅の金城湯池である総務省官僚たちの接待疑惑が噴出し、批判にさらされた。 戦後最大の国難といってもいい新型コロナウイルスの蔓延に対して、安倍もひどかったが、それ以上に対応を誤り、医療体制の崩壊を招き、ワクチン供給も間に合わず、無為・無策・無能であることを満天下に晒(さら)し続けている。 小泉以前に挙げた歴代首相のうち竹下を除いて、その中味の良し悪しは別にして、彼らなりの「国家観」を持ち、折に触れ語っていた。 竹下でさえも明瞭な言葉で国民に語りかけた。だが、森、小泉以後は、国民に丁寧に説明して理解してもらおうということさえもしなくなった。 経営の神様といわれるピーター・ドラッカーの「リーダーは、人として信頼を得ることを何より大切にせよ」という言葉を持ち出すまでもないだろう。政は国民の信頼なくして成り立つわけはない。 だが、小泉以降、国民の信頼を得る努力をせず、リーダーシップも説得するための言葉も持たないのに、「知らしむべからず、由らしむべし」と独断専行する首相が増えてきたと思うのは、私ばかりではないはずだ。
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