「強い官邸」崩壊へ…小泉政権から始まった「官邸主導」が安倍政権を経て霞が関に及ぼした甚大なる被害〈dot.〉

「強い官邸」崩壊へ…小泉政権から始まった「官邸主導」が安倍政権を経て霞が関に及ぼした甚大なる被害〈dot.〉

日本選手のメダルラッシュに沸いた東京五輪を追い風に強気の姿勢を崩さない菅政権だが、東京都ではコロナ感染者が5000人を超えた。唯一の切り札とされるワクチン供給で政権への不信感がますます高まる中、再びささやかれるのが「安倍待望論」だ。安倍政権と、同じく長期政権を築いた小泉政権の大きな違いや、「官邸主導」から「強い官邸」の崩壊までの流れを、発売直後から大反響の『自壊する官邸 「一強」の落とし穴』(朝日新書)から一部を抜粋して紹介する。 【ランキング】「ポスト菅」アンケートで浮上した意外な大穴とは?

*  *  * ■官僚も反対できた小泉政権  第2次安倍政権と同じように首相官邸主導の政治を進め、長期政権を築いたのが小泉政権だった。指摘される大きな違いは「人事」のあり方だ。  小泉政権下でも、すでに官房長官や副長官らが、各省庁の局長以上の人事を審査する人事検討会議はあったが、「省庁が上げた人事を退けた記憶はない」(当時の官邸スタッフ)という。 実際、小泉政権事務次官を務めた男性は、自らが示した省内の人事に「官邸が異論を挟むことはなかった」と話す。  自身の部下が取り組んだ大型プロジェクトで、官邸側と意見が合わないこともあったが、その部下が人事で不遇を託(かこ)つことはなかった。この元次官は言う。「官僚は政策の選択肢について優先順位をつけて政治の側に提示する。その上で政治家が決断してくれれば我々の士気は高まる。人事にまで政治が手を出すと陰湿になり、士気は下がる」。  小泉政権でも官邸の方針に反対する官僚に「引導」を渡したことがある。当時の官邸スタッフによると、小泉の悲願だった郵政民営化に関する法案をめぐり、担当の総務省幹部が反対した。  その幹部が、法案の閣議決定に反対するよう与党に求めていた時は官邸側も「いいじゃないか。彼の信念だ」と見過ごしていたが、閣議決定後に野党に根回しを始めた際には、「閣議で決まった法案に役人が反対するのはおかしい。従えないなら公務員を辞めるしかない」と官邸側が叱責(しっせき)。総務省幹部は、そのポストを去らざるを得なくなった。  この元スタッフは「政治が決めるまでは反対すればいい。ただ、一度決まったら官僚は従うのみ」と振り返る。

 

「安倍政権では決定前でも官邸の方針に反対することは難しかった」と明かす。官邸と意見が対立すれば、「『反対する官僚を飛ばせ』と言われかねない。人事に調整の余地はない」。2017年8月初旬、霞が関で、ある記事が話題になった。霞が関の幹部人事を一元化する内閣人事局を批判する元首相・福田康夫のインタビューだ。  福田は小泉内閣官房長官を務めた。福田いわく、「各省庁の中堅以上の幹部は皆、官邸(の顔色)を見て仕事をしている。国家の破滅に近づいている」「官邸の言うことを聞こうと、忖度以上のことをしようとして、すり寄る人もいる。能力のない人が偉くなっており、むちゃくちゃだ」。福田はその後、日本記者クラブの記者会見で、このインタビューについて「そういう問題があるということを(安倍首相に)申し上げている」と語った。 ■自民党への根回しは最後になった  官僚出身のある自民党議員は、議員が政策について議論する党の部会の変化を痛感している。官僚として第1次安倍政権時、ある部会に出席した時のことだ。当時、当選2回だった衆院議員が「私は地元でこう言っている。そうしてもらわないと困る」と大声を上げた。当時、部長だった先輩官僚が、その議員をたしなめた。 「そう言われても出来ないものは出来ない。地元でそんな言い方をしてはいけませんよ」。15年ほど経った今、政治家と官僚の関係は大きく変わった。若手議員が無理難題を要求しても官僚は以前のように反論することはない。元官僚の議員は気の毒に思う。 「役人は本音が言えない。大変ですよ、今の役人は」。活力を失ったのは官僚の側だけではない。自民党の部会も出席議員が減り、活気を失った。かつては族議員がいて口角泡を飛ばす議論が続いた。  今や、首相官邸の意向を受けて各省庁が決めた法案や方針を了承する場になり、元官僚の議員は「議員同士で議論して物を決めている感じがなくなった」と言う。官邸主導の政策決定が進み、党に力がなくなったことは官僚たちも身にしみて感じている。  ある現職の事務次官は「官邸主導で党のことを気にしなくなった。官邸が決めたことなら、党から厳しい意見を言われなくなった」と明かす。時には怒声が飛ぶが、法案の根幹を左右するような指摘ではない。一方、党の部会に出ても意見が少なくなったことに寂しさも感じる。「一番嫌なのは関心を持たれないこと。『こんなものは大反対だ!』とか言ってくれた方がよっぽど励みになる。そうやって政策は磨かれていく」。  事務次官経験者は、族議員が強かった時代、党と官邸双方に、同僚たちと手分けして根回ししていた時代を懐かしがる。「族議員が先か、官邸が先か、悩んだ。案件によっては、たった30分でも根回しの時間を間違うと政策が滞った」

 

第2次安倍政権では、まずは官邸。基本的には官房長官の菅の秘書官に説明し、それから党側に伝えた。ただ、外交案件が絡むものなど首相の安倍が関心を持つ政策は安倍の秘書官に先に説明し、直後に菅側に伝えた。「気を使ったのは官邸の中での根回しの順番。党は最後になった」。 ■「強い官邸」の崩壊が始まっている  栃木県日光市にある世界文化遺産日光東照宮。陽明門に並ぶ12本の柱のうち、1本は逆さまに建てられている。建物は完成したと同時に崩壊が始まる、という言い伝えを逆手にとり、わざと1本を逆さにした。あえて未完成の状態にして、魔除けにしているという。この言い伝えは政治にもあてはまるようだ。 「安倍1強」と呼ばれた第2次安倍政権は、首相・安倍晋三と、現首相の官房長官菅義偉が強い力を持った。その政権運営は「強い官邸」が主導する政治をめざした平成の改革の完成型と呼ばれた。ところが、新型コロナウイルス対策をめぐって政策が二転三転。コロナ対策の迷走は、「強い官邸」の崩壊が始まっていることの象徴に見える。  安倍は2020年8月24日、首相としての連続在任日数が2799日となり、大叔父の佐藤栄作の2798日を超えて史上最長となった。前年11月には、同じ山口を地元に持つ戦前の政治家、桂太郎の首相としての通算在任日数を抜いていた安倍は、「佐藤超え」によって、二つの最長記録を塗り替えたが、4日後の8月28日に首相辞任を表明した。  安倍政権を引き継いだ菅政権の迷走も続く。「官邸に行くのは嫌だ。コロナ対策もうまくいかず、菅さんのイライラが募っている」。2021年1月、事務次官同士でこんな言葉が交わされたという。官邸と官僚との意思疎通の不全を象徴するような会話だ。  7年8カ月続いた第2次安倍政権で、菅は官僚人事の大部分を任された。異論を唱える官僚を露骨に更迭し、官僚にとって菅は恐怖の対象になった。そして官僚らは新たな政策を次第に出さなくなり、かつて「日本最大・最強のシンクタンク」とも呼ばれた霞が関は次第に活力を失った。  事務次官経験者は、新型コロナウイルスの感染拡大をめぐり、政府の政策が後手にまわった背景について「長期政権の下で生まれた『指示待ち体質』が露呈し、官僚たちから新しい政策が出なくなった」と分析する。(敬称略)

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