責任転嫁と説明放棄を繰り返す「菅・二階政治」という疫病

 

  • 日本が新型コロナに勝てない理由について週刊ポストが報じている
  • 菅首相は責任転嫁と説明放棄を繰り返し、二階幹事長はそんな首相を擁護
  • 日本は「菅・二階政治」という「疫病」にも冒されていると筆者は指摘した

 

終わりの見えないコロナとの戦いで疲れ切った国民に向かって、菅義偉・首相は「対応が遅れたとは思わない」と自己弁護し、二階俊博・幹事長は「総理は果断に対応した」とかばった。この期に及んでも現実を直視しない総理と幹事長に、もう“特効薬”は見当たらない──。

【写真】肩幅の広い背広、金色のネクタイ姿、白髪のある二階俊博・幹事長

 国家の危機に際して、国民の士気を鼓舞する言葉を持たぬ政治家は「総理の器」とはいえない。

 1月18日の菅首相の施政方針演説。「原稿棒読み」「言い間違いが多い」と批判されている首相は、前の日は終日、議員宿舎にこもってスピーチの練習にあて、準備に準備を重ねて臨んだはずだった。

内閣総理大臣に就任し、政権を担って4か月、直面する困難に立ち向かい、この国を前に進めるために、全力で駆け抜けてまいりました」

 自画自賛から始まった演説は、進むにつれ、衆院本会議場の議員や官僚ら関係者の間に“やっぱりダメか”と落胆が広がっていくのがわかった。

 首相の声は文章の末尾になるほど早口で小さく、聞き取りにくくなる。

「私が一貫して追い求めてきたものは、国民の皆さんの安心そして(希望です)」
新型コロナウイルス感染症を一日も早く(収束させます)」

「収束させます」と小声でしかいえない菅首相の自信のなさは国民に伝染し、首相が口を開くたびに国民の不安が膨らんでいく。

 棒読みは続く麻生太郎財務相の財政演説、茂木敏充・外相の外交演説、西村康稔・経済再生相の経済演説に“伝染”し、4演説を聞いた国民には国の針路が見えない。

 菅首相の就任以来の演説やテレビ出演、会見の発言録を辿ると、国民がコロナに勝てない理由が見えてくる。この国は無責任で当事者能力のない「菅・二階政治」という“疫病”にも冒されていたのだ。

【菅語録】“専門家が大丈夫というから”の責任転嫁

 菅首相は自らの非を認めて改めようとしない。そこに不信の念が生じる。緊急事態宣言に消極的だった菅首相は、1都3県に宣言を出すにあたってこう述べている。

「北海道、大阪など、(飲食業の)時間短縮を行なった県では効果が出て、陽性者が下降してきております」(1月4日の会見)

 仲のいい知事がいる自治体を持ち上げ、犬猿の仲である小池百合子都知事による“東京の対応が悪かった”といわんばかりだった。

 ところが、その大阪など7府県にも東京の1週間後に宣言を出すことになり、記者会見で「見通しが甘かった」と質問されると、今度は専門家に責任転嫁する。

「大阪の感染者が急増したのは直前のことであり、先週の段階では、専門家の皆さんからもよく原因を分析すべきである、そうした評価でありました」(1月13日の会見)

 エコヒイキで目が曇り、対策が後手に回るのだ。

【菅語録】「仮定のことは考えない」で説明放棄

 1月7日の緊急事態宣言会見で、「1か月後には必ず事態を改善させる」と語った翌日、テレビ朝日の『報道ステーション』で「結果が出なかった場合、緊急事態宣言の対象拡大や期間延長があるか」を問われると“菅話法”でこう返した。

「仮定のことは考えない」

 国語学者金田一秀穂杏林大学国語学部教授が語る。

「『仮定のことは考えない』という菅総理の話法の特徴は、議論の前提をなくし、議論にもちこませないでやり過ごすことです。これを『姑息』といいます。本来は“その場限り”という意味で、手の内をさらさないで当座をしのぎ、丸く収める方向に持っていこうとするもの。こういう手法を取る人は交渉役には向くが、有事には向かない。新型コロナは未曾有のことで、ウイルスは交渉で丸く収まる相手ではない。その場しのぎの話法に効力はなく、菅総理の発言は国民にわからない、伝わらないということになる」

 有事における総理の資質に大きな疑問符がつくわけだ。

週刊ポスト2021年2月5日号

 

https://news.livedoor.com/topics/detail/19586563/