「自粛ポリスに任せればいい」安倍首相が責任回避の言葉を繰り返すワケ

「自粛ポリスに任せればいい」安倍首相が責任回避の言葉を繰り返すワケ

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4月7日、安倍晋三首相は7都府県に「緊急事態宣言」を出し、記者会見を開いた。コミュニケーションストラテジストの岡本純子氏は「外出自粛を強く要請する一方、欧米のロックダウンとは違うとも強調し、どっちつかずだった。結局、『政府や自分は責任を取らない』と言ったも同然だった」という——。

「緊急事態宣言」の安倍首相会見の狙いは「国民よ、忖度せよ」

安倍晋三首相が4月7日、「緊急事態宣言」を7都府県に発出し、その理由を国民に語った。これまでの記者会見に比べ、安倍首相は「伝える努力」をしていた。だが、やっぱり腑に落ちない。なぜなら、鬼気迫る危機感はなく、国民を励ますわけでもなく、連帯感を喚起させるわけでもないからだ。

結局、日本のリーダーのコミュニケーションとは「通達」でしかなく、国民はその言葉の行間を読み、意図を忖度(そんたく)して、緊急事態宣言の安倍首相会見を採点しなければならない。改めて、そう気づき落胆した。

「忖度させる力」をフル活用する安倍劇場の「深謀遠慮」を読み解いてみよう。

安倍首相は国民に、安心も希望も恐怖も与えなかった

日本で初めての「緊急事態宣言」を発令するにあたり、安倍首相はこれまでとは異なり、いくつも工夫している様子がうかがえた。

まずは視線だ。左右交互にプロンプターを見やり、原稿を読むスタイルは変わらないが、前回までのロボットのような不自然さはなく、正面を見る回数がぐっと増えた。また、医療従事者や「物流を守るトラック運転手の皆さん」に言及するなど、現場の頑張りに触れるという欧米のリーダーの演説スタイルを踏襲していた。

違和感のあったマスクは外しており、ビジュアルの印象もよくなっていた。さらには、1930年代の世界恐慌当時のアメリカ大統領、フランクリン・ルーズベルトの就任演説での言葉「私たちが最も恐れるべきは恐怖、それ自体」を引用し、リーダーシップを印象付けていた。

ただ、違和感も残った。

国や企業のトップによるスピーチやコミュニケーションの要諦は、聞き終わった後、聞き手にどんな「感情」を喚起し、その脳裏にどんな「メッセージ」を残すかである。今回、筆者にはそのどちらも残らなかった。

前者の「感情」では、海外のリーダーは、励ます、鼓舞する、勇気づける、危機感をあおる、といったことを意識して話す。

例えば、イギリスのエリザベス女王やドイツのアンゲラ・メルケル首相の演説は、聞く人の心を揺さぶる。コミュニケーションで人を動かそうとするのであれば、それだけの言葉と熱量を発さなければならない。

しかし、安倍首相の会見では、安心も希望も恐怖も感じない。感情の心電図はフラットのままだ。

もっと劇的に演出できれば切迫感を伝えられたはずだが……

後者の「メッセージ」では、国民の受け止め方はいろいろあるだろう。だが、筆者としては、「結局、何?」ということしか残らなかった。あえて意図しているのかもしれないが、総じて表現があいまいで歯切れが悪い。だから事態の深刻さが伝わってこないし、「もう大丈夫」という安心感もない。

切迫感を伝えたいのであれば、「緊急事態宣言」をもっと劇的に演出できたはずだ。ところが、長々と前置きをした後に、「先ほど諮問委員会のご賛同も得ましたので、特別措置法第32条に基づき緊急事態宣言を発出することいたします。対象となる……」と事務的に言うだけだった。

スライドやフリップ(ボード)などを背に、言葉の間(ま)を十分にとり、威厳をもって宣言するシーンを作り出せば、メディアはきっとその部分を切り取り、繰り返すため、国民に印象付けることができただろう。

まどろっこしい「外出しないよう要請すべきと考えます」

ことばは相変わらずまどろっこしかった。たとえばこんなフレーズがあった。

「生活の維持に必要な場合を除き、みだりに外出しないよう要請すべきと考えます」
「外出自粛をお願いします」
「3つの密を避ける行動を徹底していただくよう、あらためてお願いいたします」

有事の際は、こんな遠慮がちな表現は避け、こうストレートに言うべきだ。

「外出しないよう要請します」
「外出を自粛してください」
「3つの密を避ける行動をとってください」

外出自粛を強く呼びかけ、再三「都市封鎖ではない」はズルい

なにより戸惑うのは、外出自粛を呼びかけながらも、そこまで厳密にやらなくてもいいんだ、とも聞こえたことだ。特に「都市封鎖ではない」ということが強調されていた。

「今回の緊急事態宣言は、海外で見られるような都市封鎖、ロックダウンを行うものではまったくありません。そのことは明確に申し上げます。今後も電車やバスなどの公共交通機関は運行されます。道路を封鎖することなど決してありませんし、そうした必要もまったくないというのが専門家の皆さんの意見です」

執拗なまでに、そこまで深刻なものではないのだと強調する。法的に強制力はないということを印象付け、パニックを防ぎたかったのかもしれない。だが、ここまで言われると、あまり厳しくなくても大丈夫なんだ……と奇妙な安心感を与えてしまう。

安倍首相はこうも言っていた。

「専門家の皆さんの見解では、東京や大阪での感染リスクは、現状でも不要不急の外出を自粛して普通の生活を送っている限り決して高くない。封鎖を行った海外の都市とはまったく状況が異なります」

われわれは日々、アメリカやヨーロッパの惨状を見聞きし、恐怖におびえている。それにもかかわらず安倍首相は「状況が全く異なる。だから、そこまで過敏になる必要はない」と断言しているようにも聞こえる。もし、この断言が真実であれば、われわれは安心できるが、筆者の周囲に安心している人はひとりもいない。

政府は補償はせず企業や店舗に「自主的休業」させれば補償はいらない

そして、安倍首相は「不要不急の外出をやめれば、『普通』の生活を送っていい」とも言い切っている。そこで思う。はて、「不要不急」「普通」って何だろう。友達にも会えず、学校にも行けず、ジムにも行けず、会社に行けず、仕事を失い、入学式も卒業式もなくなった。それを普通と言われても、困るのだ。

つまり、「Stopサイン」と「Goサイン」が入り交じっている。だから、受け止める国民は混乱するしかない。

経済を止めるわけにはいかないから、表現があいまいにならざるを得ない。そんな「大人の事情」は理解できる。しかし、「中途半端」はどちらも殺すことにはならないだろうか。

今、緊急事態宣言を受け、国と都でどの施設を休業扱いにするのかでもめている。そうやってもたもたしている間に、休業対象ではない飲食店が「この状態では、商売はできない」と自主休業している。これは日本企業が「自主的な退職であれば、退職金は払わないですむ」と社員に圧力をかけてリストラする常套手段を想起させる。

あいまいに伝えることで、人にも企業にも店舗にも「自主的」に決めさせる。その結果、どうなろうと国の責任は問われない。責任はすべて国民にある。この会見の安倍首相の文言に、筆者はそんな意図が隠されているのではないかと疑いたくなる。

責任といえば、ニューヨーク州のアンドリュー・クオモ州知事は「すべての責任は私にある」と言い切ったが、今回の会見の質疑で安倍首相は、「例えば最悪の事態になった場合、私たちが責任を取ればいいというものではありません」と述べている。

安倍首相は「自粛ポリス」の市民が自主的に街を見張ることを期待

会見では「人と人との接触機会を最低7割、極力8割削減」と強調したが、高齢の両親を抱え、ずっとこもり続けている筆者は「これ以上、どうやって減らせるのか」と途方に暮れるしかない。仕事でどうしても外出しなければいけない人たちも同じだろう。

要するに「すべて忖度して、解釈しなさい」ということなのだ。

「なんて国だ」と打ちひしがれたが、ふと思った。いや、これで、日本は何とかなるのかもしれない。われわれ日本人は、そういうコミュニケーションに慣れているのだ。

空気を読み、周りに迷惑をかけないように、と常に人目を気にする。江戸時代に、お互いを監視させるためにつくられた「五人組」のように、「最低7割、極力8割削減」という集団目標を守るために、市民の中に「自粛ポリス」が現れ、周囲の行動を自主的に見張りだすかもしれない。

そもそも日本人は我慢強い。自粛と我慢と自己責任と同調圧力、この4種の神器がそろえば、法的拘束力がなくても、また休業補償をしなくても、何とか、国民の自助努力により感染防止を実現できるのかもしれない。それこそが安倍首相の究極の狙いなのか。

そんなふうに妄想した後、急に恐ろしくなった。

現政権がそこまで深読みし、すべてをあいまいにして、責任をぶん投げてきたのではないかと思ったのだ。だとすれば、計算されつくした、狡猾すぎる戦略である。

補償はしないで、ひたすら外出自粛を要請する安倍首相のハラ

未曽有の危機にあって、これまで筆者は「リーダーシップが大事だ、コミュニケーションが重要だ」と説き、「こうしたほうがいい」という提言もしてきた。そのことを読者から「ダメ出しは簡単」「揚げ足取りだ」と非難されることもあった。

しかし、こうした命令ではなく「自粛」要請によって人々の行動を変え、感染を止めようとするなら、頼みの綱となるのは「コミュニケーション」であるはずだ。最後は、言葉の力に頼るしかない。だから、トップは一言一句に細心の配慮をする必要がある――。筆者には、そんな信念があるから「安倍会見」をいつも批評し続けているのだ。

いくら筆者が気張ってみても、この国で、トップにリーダーシップを求めても仕方がないのかもしれない。きっちりと行間を読み、忖度し、自主的に動いてくれる国民がいるのだから。その驚異的な「忖度させる力」を持つリーダーのもとで、われわれは、ひたすら自粛し、奇跡が起きるのを待つしかないのである。

[コミュニケーション・ストラテジスト 岡本 純子]

外部リンク

 

「遅すぎる緊急事態宣言…」一番恐ろしいのはコロナじゃなくて安倍晋三

2020年4月16日 08:00PRESIDENT Online

安倍首相が発令に躊躇しまくったのはなぜなのか

新型コロナウイルスが世界中で猛威をふるい、主要国が迅速で大規模な危機対応策を講じる中、安倍晋三首相がようやく4月7日、改正新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく初の「緊急事態宣言」を発令した。今年1月に国内で感染者が確認されてから3カ月後の「決断」は、国民の不安を充満させ、同盟国の米国からも「帰国警報」が出される始末となった。感染拡大を受けて東京都や大阪府の知事らが要請しても、直近の世論調査で発令を求める人が8割近くに上っても、安倍政権が緊急事態宣言の発令を躊躇し続けた背景には何があるのか。

「我々は戦争状態にある」(フランスのマクロン大統領)、「自分は戦時の大統領。戦争には打ち勝たなければならない」(米国のトランプ大統領)。主要国トップが相次いで「戦時」にあることを強調し、外出制限など強硬な対策を打ち出したのは3月中旬。大規模な経済対策や選挙の延期、産業の保護などを矢継ぎ早に決めていったのとは対照的に、日本政府の対応はあまりに遅かった。

長らく「ギリギリ持ちこたえている状況」だった

中国・武漢震源とする感染者は国内で1月中旬から確認されていたが、政府の専門家会議は2月16日まで開催されず、感染が拡大していた中国と韓国からの入国制限強化は3月5日、特措法の施行は3月14日までなされなかった。後手に回ってきた政府の対応には首相の支持層である保守派の評価も厳しく、大阪府の吉村洋文知事らは「国が『瀬戸際』という認識であれば(緊急事態宣言を)出すべきだ。増え始めてからでは遅い」と警鐘を鳴らしてきた。だが、安倍首相の危機意識は薄く、4月初めの段階でも「全国的かつ急速な蔓延という状況には至っておらず、ギリギリ持ちこたえている状況」と変わらなかった。

各国のリーダーが「戦時」と捉えて国民に協力を呼び掛ける影響は大きく、それが感染拡大防止に有効なのは言うまでもない。では、なぜ緊急事態宣言は遅かったのか。4月7日の記者会見で「判断のタイミングが遅すぎる、遅いという批判がある」と指摘された安倍首相はこのように説明した。「私権を制限するから慎重に出すべきだという議論が随分あった。最大限の緊張感を持って事態を分析してきた」。だが、与党内の議論も経ないまま、緊迫した状況でも唐突に「布マスク1世帯あたり2枚配布する」と発表した後のリーダーの言葉を額面通りに受け取る向きは少ない。

発令したらアベノミクスの果実が吹っ飛んでしまう

安倍政権が緊急事態宣言の発令を躊躇した理由の1つは、日本経済への打撃だ。感染拡大地域は人口や企業が集まる東京都や大阪府、福岡県など大都市であり、対象となった7都府県の国内総生産GDP)は日本全体の半分近い約260兆円に上る。麻生太郎財務相が率いる財務省経済産業省などの慎重論は強く、そこには政権に近い民間企業からの悲鳴も加わった。2012年末に政権奪還を果たし、円安・株高を誘引するアベノミクスで景気を浮揚させてきた安倍政権の果実が今回の事態で吹き飛んでしまうのではないか――。そう逡巡した政権中枢の慎重論は4月に入るまで根強かった。与野党から要望が相次いだ経済的打撃を受けている事業者への「補償」についても、政府内では「そんなことをしたら大変になる。絶対にダメだ」と冷淡だった。

4月7日の記者会見で「日本経済は戦後最大の危機」にあると数日前の慎重姿勢から一転した安倍首相だが、この日の議院運営委員会でも共産党小池晃書記局長から自粛要請に伴い生じる損失への補償を一体で行うことの必要性を問われたものの、「個別の損失を直接補償することは現実的ではない」と述べるにとどめている。

「過去最大の経済対策」は実態に合わず

その一方で、首相は同じ会見ではバーやナイトクラブ、カラオケ、ライブハウスを名指しで出入りを控えるよう要請した。厚生労働省クラスター対策班の分析・進言を受けて、小池百合子都知事が出入り自粛を求めたものと同じだ。この時、都知事に対しては「営業ができなくなる」との批判が政府内やワイドショーなどで噴出したが、東京都がこうした店舗に「感染拡大防止協力金」という形で支援する構えを見せているのに対して、かたくなに補償を否定する安倍首相が同じ要請をするという矛盾も生じている。

そもそも、特措法は休業を求めることができるものの、それによる損害の「補償」についての記載がない欠陥法といえる。「過去最大の経済対策」(麻生財務相)という緊急経済対策に盛り込まれた「1世帯あたり30万円の給付」や「中小企業に最大200万円、個人事業主に最大100万円」などの支援策は、休業などで大幅に収入や売り上げが減った世帯や事業者が対象で、その条件が実態に合っていないとの声は多い。自民党担当の全国紙記者はこう語る。「与党内からは『世帯ではなく、一人一人に給付すべきだ』『非常事態だから支援策を欧米のように大規模にすべきだ』との声が相次いだが、政府主導で反対論を押し切った。中途半端な支援策で国難を乗り越えられるか不安視する議員は少なくない」。

北海道の「前例」が、安倍に甘えを与えてしまった

緊急事態宣言の発令が遅れた2つ目の理由は、北海道の「前例」だ。北海道の鈴木直道知事は急速な感染拡大の兆候があった2月28日、法的根拠に基づかない「緊急事態宣言」を発表し、政府の専門家会議が「一定の効果があった」と指摘した。鈴木知事は予定通り3月19日に終了宣言し、4月上旬までは北海道内の感染者数の増加は1日数人程度になっている。

特措法に基づかない「緊急事態宣言」で鈴木知事が呼びかけたのは、週末の外出自粛や大規模イベントの開催自粛などだが、「感染拡大のペースが北海道内で落ち着いたことを見た菅官房長官はこうした取り組みを全国で実施すれば、『首相が特措法に基づく緊急事態宣言までしなくても大丈夫だ』と高をくくっていた」(民放記者)とされる。

だが、「ヒト・モノ」が集積し、成田空港や羽田空港関西国際空港を抱えて海外からの帰国者対応も余儀なくされている首都圏や関西圏と、北海道での対応を同一視できるのかは疑問だ。安倍首相は3月10日の政府対策本部で「全国の大規模イベント自粛を今後10日間程度継続」するよう要請したが、3月19日の北海道による終了宣言と重なる「期限」設定は、3月20日からの3連休に「国民に緩みが生じ、『もう期限は過ぎたから大丈夫だ』と外出した人々を生んだ」(前出の全国紙記者)との指摘がある。

国家としての責任も気概も感じない

3連休前に感染拡大エリアの首長が外出自粛を呼びかけなかったことを批判する評論家やテレビコメンテーターもいるが、大阪―兵庫間の往来自粛要請が出されていた両府県も含め3月末から4月初めの感染者が増加していることを考えれば、この時期に「緩み」が生じた傾向は全国的なものといえる。

「この緊急事態を1カ月で脱出するためには人と人との接触を7割から8割削減することが前提だ」「極力8割削減することができれば、2週間後には感染者の増加をピークアウトさせ、減少に転じさせることができる」。4月7日の記者会見でこう力説した安倍首相だが、緊急事態宣言発令と同時に出された国の方針では「外出自粛要請」を先に行い、その効果を見極めた上で「事業の休業要請」を行うと通知。自治体によっては5月6日までの1カ月のうち、半分の期間を「様子見」に充ててしまうところもある。首相官邸担当の全国紙政治部記者はこう呆れる。「『しょぼくて遅い』対策ばかりで、すべて国民や事業者、自治体任せ。欧米のリーダーのように、国家としての責任も気概も感じない」

政経ジャーナリスト 麹町 文子]